脳卒中センターとは
脳卒中センターからのご挨拶

阪和記念病院は昭和53年9月に当時、搬送先が著しく不足していた急性期脳疾患診療を目的として設立され、主に脳卒中や頭部外傷などの治療に関わってまいりました。
研究部門まで備えた脳専門の民間施設は当時まだ珍しく、全国から多数の見学者が訪れてくださいました。時が移り、特に診療の中心となっていた脳卒中には、開頭術以外にも血管内手術などが導入され治療は大きく変貌しました。
とりわけ、超急性期からのリハビリテーションの有効性が証明されて治療介入の大きな柱となっております。
そのためもあって急性期から地域連携活動を通した社会復帰まで途絶えることのない一貫した治療が必要となりました。患者様が居住する地域で発病直後から高度な治療を受けられ、またその地域でリハビリテーションを続行して社会復帰・家庭内復帰ができれば理想的でしょう。
脳卒中センター長 矢野 喜寛
阪和記念病院は歴史的に脳卒中に深く関わってまいりましたので今更脳卒中センターの名乗りを上げることもないともおもいましたが、すでに平成17年7月には脊椎・脊髄センターが、平成24年4月には心臓血管センターが創設されており、脳卒中研究・診療の停滞を懸念して院内外での活性化を再び促すため脳卒中センターをあえて発足させました。
当脳卒中センターは急性期脳卒中患者に対し関係部署(脳神経外科、リハビリテーション科、放射線科、看護部、薬剤部、栄養部、医療福祉相談室)が互いの診療領域の垣根を取り払ってチーム医療を行っています。脳卒中の専門医が24時間365日常駐し治療を行える体制を整えております。
変貌する脳卒中治療
当院における脳卒中入院患者数
脳卒中はその字が表すように昔から「卒然として邪風に中る(あたる)」と言われ、突然発症し、いったん発症すると有効な治療法はなく、たいていはそのまま人生を終えるものとされてきました。しかし、平成17年10月にtPA(組織プラスミノゲン活性化因子)が認可され、脳卒中治療に大きな転換期が訪れました。
すなわち発症3時間以内の脳梗塞超急性期にtPAを静脈内投与することにより血栓を溶解し、閉塞血管を再開通させて患者様の症状を軽減あるいは消失させることが可能となりました。
最近では超急性期の枠を4.5時間まで拡大してtPAの適応を広げています。また当院ではtPAに加えて、マイクロカテーテルを直接脳の血管に挿入し血栓回収デバイスを用いて、血栓を取り出すということも行っています。
急性期治療後
当センターでは脳卒中の急性期にも早期からリハビリテーションを施行していますが、麻痺や失語などの後遺症が重篤な場合には回復期リハビリテーション病院に移っていただき、重点的にリハビリを行い、社会復帰・家庭内復帰を目指しています。回復期リハ病院にスムースに転院できるよう平成20年6月に大阪脳卒中ネットワークが設立されました。
現在、大阪市内の20急性期病院と大阪市およびその周辺都市の34回復期リハ病院で構成され、転院を円滑に行い一日も早い復帰を目指しています。また維持期の病院やかかりつけ医としての開業医の先生方もこのネットワークの構成員であり、患者様の生活の援助や再発予防などにも力を注いでいます。
このように脳卒中の治療は一つの病院の一つの科が単独で行っているのではなく、多くの診療科が協力して行い、また最終的にはその患者様の住める地域の病院・施設・開業医の先生方と連携して行っているものです。
脳卒中治療は急性期治療に大きな変貌を遂げ、そして生活習慣病治療による予防への取り組みが積極的になされ、さらに今後はiPS細胞に代表されるように再生医療にも大きな注目が寄せられています。今後、ますます発展していく脳卒中治療には多方面からのアプローチが期待されています。
スタッフ紹介
医師
- 藤田 敏晃(院長)
- 谷脇 浩一(脳神経外科部長)
- 小山 隆(リハビリテーション部長)
- 矢野 喜寛(脳卒中センター長・脳神経外科部長)
- 福屋 章梧(脳神経外科医長)
- 梅原 徹(脳神経外科医員)
- 小野田 祐司(脳神経外科医員)
看護部
- 山上 雅美(脳卒中リハビリテーション看護認定看護師 6階 看護課長)
- 高島 紀代美(外来 看護課長)
- 十河 史恵(ICU HCU 副看護部長)
- 赤木 美和(5階 看護課長)
- 不動寺 知子(7階 看護係長)
リハビリテーション部
- 海瀬 一也(理学療法士 課長)
- 徳田 和宏(理学療法士 課長)
- 橋本 亮太(理学療法士 主任)
放射線部
- 中井 久司(放射線部課長)
薬剤部
- 臣川 悦子(薬剤部 課長 )
医療福祉相談室
- 雨宮 百里(ケースワーカー 係長)
栄養部
- 尾上 理香(栄養部 課長)